聖書66巻には数多くの神様の秘密が込められています。
人類の救いのために必ず知らなければならない神様の最大の秘密はキリストです。
聖書の多くの秘密の中から、メルキゼデクに関する預言を通して再臨のキリストについて調べてみます。
1. 容易に説明できないメルキゼデク
ヘブ5:11このことについては、話すことがたくさんあるのですが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、容易に説明できません。
ヘブライ人への手紙でパウロは、メルキゼデクに関して話すことがたくさんあると言いました。聖書のどんな真理も世の中の常識では易しく理解することができません。その中でも、メルキゼデクは果たして誰ゆえに容易に説明できないと記録されたのでしょうか?
2. 肉的メルキゼデクと霊的メルキゼデク
まず、メルキゼデクがどんな人物なのか調べてみましょう。
創14:18-20いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとぶどう酒を持って来た。彼はアブラムを祝福して言った。「天地の造り主、いと高き神に/アブラムは祝福されますように。敵をあなたの手に渡された/いと高き神がたたえられますように。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に贈った。
信仰の先祖アブラハムが戦いに勝って帰って来た時に登場したメルキゼデクは、神様の祭司としてパンとぶどう酒を持ってきてアブラハムに祝福をしました。
旧約時代の祭司たちは羊や山羊のような獣の血を流して祭祀をささげました。
ところで、私たちが聖書を解釈する時、旧約は影であり、新約はその実体として見ます。では、旧約のメルキゼデクの実体とは、いったい誰なのでしょうか。
マタ26:26-28一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
イエス様はパンとぶどう酒で私たちに罪の赦しの祝福を下さいました。
旧約の肉的メルキゼデクがパンとぶどう酒をもってアブラハムに肉的な祝福を祈ってくれたように、イエス様は過越祭のパンとぶどう酒で私たちに罪の赦し、すなわち永遠の命の祝福を祈ってくださいました。
ですから、メルキゼデクの実体はイエス様です。本当にそうか確かめてみましょう。
ヘブ5:8-10キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。
イエス様のことを、メルキゼデクと同じような大祭司、つまりメルキゼデクの系統の大祭司だと言いました。
したがって、メルキゼデクの実体がイエス様であることを理解することができます。
3. 容易に説明できない点
どうして聖書はメルキゼデクに関しては話すことがたくさんあるが、容易に説明できないと言ったのか、その理由を調べてみましょう。
ヘブ7:1-3このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず「義の王」、次に「サレムの王」、つまり「平和の王」です。彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。
メルキゼデクは父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもないと言いました。
まず、「メルキゼデクは父もなく、母もない」という御言葉について考えてみましょう。
この地に生まれた人で父と母がいない人はいないので、この御言葉は霊的に解釈する必要があります。
マタイによる福音書12章50節を見ると、イエス様は、神様の御心通りに行う信仰を持った者を父と母として認められました。
ですから、父もいなくて母もいないというのは、その両親が神様を信じない人であることを意味しています。したがって、メルキゼデクの実体であるキリストは、神様を信じない父親と母親の家庭で生まれなければなりません。
ところで聖書の記録を見ると、初臨のイエス様の父ヨセフと母マリアで、信仰の家庭で誕生されました。
そのため、メルキゼデクに関しては容易に説明できないと言ったのです。
二番目に、「系図もない」という御言葉について考えてみましょう。
聖書でいう系図とは、イスラエルの系図であるため、系図がないという条件を満たすためには異邦人でなければなりません。
この預言どおりに、メルキゼデクは異邦人として来られなければなりませんが、初臨のイエス様はマタイによる福音書1章1節を見ると、系図が記録されています。
このような部分が、メルキゼデクを初臨のキリストと断定するのに困難な点だったのです。
4. メルキゼデクと再臨イエス様
イエス様がメルキゼデクとして来られたのは明らかですが、初臨の時には、このようなメルキゼデクの条件を完全に満たすことができない部分がいくつかありました。
したがって、ヘブライ人への手紙7章に記録されたメルキゼデクに関する預言が成就されるためには、イエス様は再臨されなければなりません。
ヘブ9:28キリストも、多くの人の罪を負うためにただ一度身を献げられた後、二度目には、罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。
それでは、この預言どおり二度目に来られるキリストは、メルキゼデクの実体としてどんな条件を満たさなければならないでしょうか?
第一に、父もいなくて母もいないと言ったので、神様を信じない家庭で生まれなければなりません。
第二に、系図がないと言ったので、異邦人として来られなければなりません。
第三に、メルキゼデクの最も重要なシンボルともいえる過越祭のパンとぶどう酒で、永遠の命の祝福をお与えにならなければなりません。
第四に、命の始めも終わりもないと言ったので、その方は必ず神様でなければなりません。
これらすべての預言を成就された方が、安商洪様です。安商洪様はイスラエルの系図に記録されることがない異邦の国、東の地の果てにある大韓民国に来られ、神様を信じない家庭でお生まれになりました。そして、メルキゼデクの証しである過越祭のパンとぶどう酒を持って来られました。それゆえ、安商洪様は命の始めも終わりもない神様です。
これについて聖書の預言を見てみましょう。
イザ25:6-8万軍の主はこの山で祝宴を開き/すべての民に良い肉と古い酒を供される。それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。主はこの山で/すべての民の顔を包んでいた布と/すべての国を覆っていた布を滅ぼし死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい/御自分の民の恥を/地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。
神様が長く保存した古いぶどう酒で祝宴を開かれ、死を永久に滅ぼすと言われました(口語訳 参照)。
聖書66巻の中で、永遠の命を与えるぶどう酒は、過越祭のぶどう酒しかありません。
ところで、どうして過越祭のぶどう酒を「古い」ぶどう酒と言ったのでしょうか?その理由は、過越祭がAD325年にニカイア会議で廃止された後、1600年間も守られなかったからです。
この過越祭を再び持って来られた方が誰なのか、続けて調べてみましょう。
イザ25:9その日には、人は言う。見よ、この方こそわたしたちの神。わたしたちは待ち望んでいた。この方がわたしたちを救ってくださる。この方こそわたしたちが待ち望んでいた主。その救いを祝って喜び躍ろう。
聖書は久しくたくわえた古いぶどう酒、すなわち長い歳月の間、守り行うことができなかった過越祭を取り戻してくださり、死を永遠に滅ぼし、永遠の命をお与えになる方がまさに神様であられることを証ししています。
このような預言に従って、この時代に過越祭の真理を持って来られ、私たちに永遠の命の祝福を下さった方が安商洪様です。
私たちのために、メルキゼデクの実体として来られた、秘密の中の秘密であられるキリスト、安商洪様について学び、受け入れ、豊かな祝福をお受けできますように願います。
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